世界遺産で鳥 その3

2011年03月02日 11:31

クルマを雪に突っ込ませても、オジロワシの飛翔写真を撮影することは叶わなかった。
上空をゆったりと滑空している彼ら、その動きは優雅でのんびりしているようだが、速度は意外と速い。

ここは諦めが肝心である。
オオワシ・オジロワシはいやというほど飛んでいるのだ。
気持ちを入れ替えてホテルをとっている斜里を目指した。

知床観光のベースとなるのは本来ウトロの温泉街であろう。
が、温泉街の宿の1泊2食付料金はやはりそれなりで、温泉とか料理を楽しみとしていない我々が宿泊するにはオーバースペックである。
斜里駅前の新しいホテル、グランティア知床斜里がベストだ。
ここには小さいながらも温泉大浴場と露天風呂さえも存在するのだ。
料金もビジネス並みで朝食付き。
今回はメシへのこだわりなんてひとつもないので、夕食は近くのつぼ八へ行った。
ビールにポテトにから揚げ…いつもの居酒屋オーダー。
しかし気がつくべきであった。
ツレは小学校二年生の、小食な女の子であるという事に。
ビールをたくさん飲みたい僕は急ピッチでジョッキを空けるが、料理の減る速度が遅い。
やばい…頼んだものを残すのはイヤだ。
結局、腹がはちきれんばかりの満腹となり、苦しさの中ホテルへと戻った。
一応、遊びながらの長風呂で腹をこなそうとするが、量が量であっただけに辛さはほとんど変わらなかった。
満腹すぎてキモチワルイまま就寝。

翌朝。
満腹で目覚める。
ものすごくイヤな感じだ。
しかし朝食は無料である。
少しは食わないと損だという意識が働き、結局食い、更に気持ち悪さを加速させる。

あぁ…

気持ち悪い。。

2泊3日旅の中日。
今日は知床の核心部である世界遺産登録部分に足を踏み込んでの探鳥を予定している。
気持ち悪いまま目指すはウトロ道の駅。
朝の早い時間から出発だ。
ウトロまでの途中、何羽かオオワシやオジロをみかけたが、到着するほうが優先。
先を急ぐ。

未経験の地では、その場に通じた人にガイドをお願いする事が効率的だと僕は考えている。
今回、ガイドをお願いしたのは『知床の森のガイドゆらり』の寺田さんだ。
寺田さんと、ウトロの道の駅で待ち合わせをしていたのだった。
駐車場で挨拶をし、寺田さんの車に乗り換えツアースタートである。

ウトロ港周辺でも、たくさんの鳥達を見ることが出来た。

  

  

途中何ヶ所かで鳥見を敢行した後、ツアーはいよいよ世界遺産登録部分へ。
スノーシューを装着し、スタートである。

 

知床の森へと足を踏み入れていくのだ。

 

知床自然センターからフレペの滝へのコース、その周りをゆっくり寄り道しながら歩く。
熊の爪痕が残る木の前でパシャリ。

 

森の中では、鹿が多いことに驚く。
やたらとあちこちにエゾシカがいて、雪面から出た枯れ草を懸命に食べている。
その鹿達は、近くまで寄ってもなかなか逃げない。

 


エゾシカがこんなに増えたのにはノンフィクションの物語がある。

その昔、オオカミは北海道の森で生態系の頂点に君臨していた。
当然ながら、エゾシカは捕食の対象だ。
そこへ人間が介入してきた。
人間は毛皮や食用とするためにオオカミの餌である鹿を乱獲し、その鹿達を絶滅寸前まで追い込んだ。
餌の少なくなったとオオカミは人間が飼育する家畜を襲うようになり、結果オオカミは害獣として人間に認識された。
そして人間はオオカミの駆除を始め、オオカミを絶滅に追いやったのである。
天敵のいなくなった鹿は、徐々に数を増やし始め、現在は過密状態に陥っている。
数が増えれば山奥から人里近くへと出てくる鹿も増えてくるのだ。

ハンターなど一部の人間を除き、たいていの人間は鹿にとって脅威でもなんでもない。
従って鹿は人間を見慣れ、人間に会っても逃げなくなったのである。
結果、植物を食べる鹿は、森をどんどん裸にしつつあるのだ。

この問題を受け、北海道の山林にオオカミを放つ計画があると聞く。
オオカミを放って、かつての生態系を元通りにしようとする考えだという。
しかしここでよくよく検討しなければいけないのは、当時の生態系を再現できる環境に、今現在なっていないという事だ。
そこには人間の生活があり、山に入る人も増えた。
肉食獣がターゲットにする相手は、まず弱っていたり子供であったり…獲得しやすい相手を狙い、逃げるのに機敏で元気な成獣は後回しにされる。
自然に放たれたオオカミだって、まずは襲いやすい相手を狙うはずだ。
家畜や、人間などの動きが緩慢な動物を。
最初にターゲットになるのは、鹿では無い可能性もあると、僕は思う。

根元にあるものは、人間が自然界に足を踏み入れすぎてしまったという事である。
シカやオオカミは、ただ生きようとしているだけだ。
生きて後世に子孫を残そうとしているだけだ。
そこに人間が入ると、絶滅の危機に瀕したり絶滅したり、増えすぎては駆除されたりしてしまう。

一度壊れてしまったものは、なかなか元に戻すことは出来ない。
ならば対策はどうすべきなのかと聞かれれば、僕も正解はわからない。
エゴだらけの現代の生活が普通であると、僕を含む多くの人間が無意識の中に認識している。
人間はせめて100年前の生活に戻らなければならないのではないかと、僕は勝手ながら思っている。
しかしそれはもう、現代の生活からはあまりにもかけ離れすぎていて、戻れない域なのだ。


話がそれてしまったが、鹿が逃げない事の理由、その理由から派生している問題というのはつまり、全て人間にある。
寺田さんも言っていた、

 「これは正しいシカではない」

という言葉。
まさしくその通りであると思うし、正しくない動物が増えて行っているのも感じる。

僕らは、何をすれば良いのだろうか…

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